イベント/長寿/安全/終了/2040PJ

【開催報告】デジタル社会のヘルスケア、その展望と課題 ー シンポジウム「デジタルプラットフォーム時代におけるヘルスケアの再定義」(2022.3.14開催)

2022.09.08

Only available in Japanese

01_220314KGRI0171.jpg
(撮影:菅原康太)

KGRI「2040独立自尊プロジェクト」の一翼をなす「プラットフォームと『2040年問題』」プロジェクトと、「健康寿命延伸プロジェクト」。両プロジェクトの合同企画として、2022年3月14日にシンポジウム「デジタルプラットフォーム時代におけるヘルスケアの再定義」が開催された。

健康寿命の延伸に向けて有望視されるのが、ウェアラブルデバイスやヘルスアプリを用いたICT医療や、個人の健康状態をリアルタイムでモニタリングするヘルスケアシステムの活用だ。生体データをAIが解析することで、健康な生活習慣に向けた行動変容を促すなど、個人ごとに最適化された処置や、患者本人の判断による対処が可能になる。しかし、デジタルプラットフォームによる医療や個人の意思決定への介入は、法的・倫理的な議論に直結する問題でもある。

本シンポジウムには、プラットフォームビジネスやシステムデザイン、医療倫理学、医事法学、憲法学など幅広い分野の研究者が参加。新しいヘルスケアシステムがもたらす健康と医療の展望に始まり、求められる法秩序や社会システム上の課題などを、多角的なアプローチで議論した。その模様を、動画と要約テキストを交えてレポートする。

<開会挨拶>
安井正人(やすい・まさと)
 医学部教授、KGRI所長

<趣旨説明>
鳥谷真佐子(とりや・まさこ)
 KGRI特任教授
河嶋春菜(かわしま・はるな) KGRI特任准教授

<基調講演>
尾原和啓(おばら・かずひろ)
 フューチャリスト(リモート参加)
大北全俊(おおきた・たけとし) 東北大学大学院医学系研究科准教授

<総合討論>
コメント:
古川俊治(ふるかわ・としはる)
 医師、大学院法務研究科教授
磯部哲(いそべ・てつ) 大学院法務研究科教授、KGRI上席所員
山本龍彦(やまもと・たつひこ) 大学院法務研究科教授、KGRI副所長
鳥谷真佐子(とりや・まさこ) KGRI特任教授

モデレーター:河嶋春菜(かわしま・はるな) KGRI特任准教授

<閉会挨拶>
山本龍彦(やまもと・たつひこ)
 大学院法務研究科教授、KGRI副所長

02_220314KGRI0003.jpg

(撮影:菅原康太)

安井正人:超少子高齢化において世界のトップを走る日本ですが、この状況をどう乗り越えていくのか、世界中から注目が注がれています。その上で有効なのが一人ひとりの健康寿命を延伸する取り組みであり、これを突き詰めるならば生と死、つまり個人の尊厳の問題に行き着きます。慶應義塾の創設者である福澤諭吉が掲げた理念「独立自尊」に基づき、この問題にしっかり取り組んでいきたいと思います。


動画1:KGRI所長の安井正人による開会挨拶(約5分)

鳥谷真佐子:今回は、ネットワーク空間における新たな社会秩序の形成を目指す「プラットフォームと『2040年問題』プロジェクト」と、これからの社会に必要なデジタルヘルスケアの仕組みを考える「健康寿命延伸プロジェクト」の合同企画として、今後のヘルスケアを担うデジタルプラットフォームに着目し、その法的・倫理的課題について考えていきます。

河嶋春菜:従来のヘルスケアシステムは医師を頂点とする構想の下に築かれてきました。それがデジタルプラットフォームの介入によってどう変わっていくのか。医療を受けるかどうかは個人の自己決定によると位置付けてきた一方で、デジタルヘルスケアシステムが個人を健康的な生活に誘導し、"健康の義務"を課すことになるのではないかという問題があります。ビジネスモデルから倫理の問題まで、幅広く議論していきたいと思います。


動画2:KGRIの鳥谷真佐子と河嶋春菜による趣旨説明(約8分)

基調講演:プラットフォームビジネスの観点から

03_S2022-07-20 12.30.45.png

尾原和啓:私は、人間らしさや自由を広げることこそがインターネットの本質だと考えてきました。最初に、DX(デジタルトランスフォーメーション)によって社会全体のルールや戦略がどう変化していくのかを考えていきたいと思います。

DXの定義はITの浸透によって人々の生活を良い方向へ変化させることであり、デジタル化はその手段にすぎません。

顕著な例として、アプリに現在地と行き先を入力し、他人が運転する車に乗って移動するモビリティサービスの例を挙げてみましょう。特徴としては、ドライバーの信用スコアが可視化され、利用者の安心が担保されていること。ドライバー側には、ワークライフバランスを考慮した上で、健康を守るためのレコメンデーションがなされること。利用者からの信用スコアに加え、運転の安全性がスマートフォンの加速度センサーによって計測されており、実績に応じて新車購入の金利や保険料が変化するなど、将来の経済的不安の低減にもつながります。

さらに、車の保有から利用への変化が進むことで、環境負荷の低減にも寄与しています。中国最大のモビリティプラットフォーム「DiDi(滴滴出行)」のユーザー数は約5億人、ドライバー数は約1500万人に上ります。配車希望のユーザーとドライバーをAIがマッチングするだけでなく、膨大なデータに基づいて赤信号の停車を減らし、渋滞を約10〜20%減少させ、二酸化炭素排出量を約5%減少させています。身体的な側面では、ドライバーに対して運転傾向や乗客の振る舞いを元に休憩を提案し、最適な場所までリコメンドしてくれます。

データを幅広く活用することで、社会全体が健康になるような予防的な処置につながっているわけです。

同様のテクノロジーは、創薬における実験とシミュレーションのサイクル圧縮や、医療データの活用によって病気の事前予知を行う取り組みにも活かされています。

また、約6億人のユーザー数を誇る中国の平安生命は万歩計のアプリを配布し、歩数に応じてポイントを発行しています。加入者が健康になるほど保険会社としては利益率が上がり、より手頃な保険プランの提供が可能になる。医師によるオンライン健康相談も実施しており、症状に応じて診療を予約したり、処方箋もオンライン化されて薬の配送も可能など、様々なサービスが連携されています。日本の塩野義製薬とも合弁会社を設立するなど、医療情報が未病から治療、投薬や治療などを含めたヘルスケアシステムに統合されていく動きです。

こうしたイノベーションの加速を止めずに、個人との適切な関係をどう考えていくか。この点をぜひ、議論していきたいと思います。

基調講演:医療倫理の観点から

04_220314KGRI0040.jpg
(撮影:菅原康太)

大北全俊:本日は、倫理学・哲学を背景に医療倫理の観点から、セルフケアにおける自分自身のケアについて考えていきたいと思います。

まずデータの利活用に関しては、網羅的に収集されたビッグデータからパターンや相関関係を抽出し、それを特定個人のデータセットに適用することで特性などを予測でき、ビジネスや医療に役立てることができるという山本龍彦先生の記述を元に考えたいと思います。


動画3:東北大学大学院医学系研究科 大北全俊による基調講演(約31分)

ウェアラブルデバイスを用いた個人データの収集に関しては私自身、「Apple Watch」を購入した直後は病気の予防やストレス軽減のために体を動かしていましたが、しばらく経って"セルフケア疲れ"に陥りました。なぜ私が毎日600キロカロリー動かなければならないのか。それは集団との比較の問題であって、本当に"私の問題"なのだろうか。

伊藤計劃のSF小説『ハーモニー』では、人口が大幅に減少した未来において、人類存続のために個人の生命が重要視され、統括的な医療管理システムによる健康監視装置が体内に埋め込まれている状況が描かれます。この様子を「人間が身体の管理を"外注"した」と表現しており、とても示唆的な言葉だと感じました。

文化人類学者の磯野真穂さんは、自分を理解するためには自分を超えた知が必要である、ただそれが頻繁にやってくるのが現代社会の特徴だと指摘しています。その一つが統計学的人間観であり、エビデンスに基づいて健康のリスクを管理コントロールする考え方です。

また、自分自身をケアすることについて考えた一人が、哲学者のミシェル・フーコーです。古代ギリシャ・ローマ時代には政治的な実践も含むものであった"自己への配慮"がその後、自己愛やエゴイズムの一種として糾弾されるなど、セルフケアの位置付けが変わったと述べています。

また、ドイツ在住の哲学者ビョンチョル・ハンは著書『疲労社会』において、現代社会は他者から押し付けられた規律を身に付けなくてはいけない規律社会から、生産効率を高めるべく個人の能力を高めて自分自身から搾取する能力社会へ移行したと述べています。

確率統計的な数値を参照しながら自分をケアすることは有用ではありますが、哲学者の檜垣立哉さんがいうように、自分の身体は完全にはコントロールできません。それゆえに、将来的な疾病リスクに照らした"賭けによる統治"が問われている。だとすれば、「この確率で病気になる」「こうすれば健康でいられる」という数値に基づく行動に対して、責任を取る必要はないのではないか。

このような考えの下に、セルフケアとは自分の身体だけでなく他者との関係を含むプロセスだと捉え直し、常に反省的に考え、批判的な視点を持つことが大切ではないでしょうか。

05_ScreenShot 2022-07-20 12.36.45.png
休憩時間には、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(SDM)ミラノスキーチームが開発した嗅覚によるデジタルヘルストレーニング「余薫(よくん)」の発表が行われた。(進行:科学コミュニケーター 本田隆行)

指定コメント:各領域の観点から

河嶋:ここからはパネルディスカッションに移ります。まずは、基調講演のお二人に加えて参加される4名のパネリストからコメントをお願い致します。

動画4:パネルディスカッション前編の動画(約39分)

06_220314KGRI0056.jpg
(撮影:菅原康太)

古川俊治:医師・医事法学の観点からコメント致します。医療におけるICTの活用は、各個人医療データを当該本人のための予防や検診、診療、地域医療などで用いる1次利用と、集積されたデータを集団として解析する2次利用、さらに2次利用の結果を収集してメタ解析する3次利用とに分けられます。

COVID-19パンデミックに関する2次利用の実例としては、一部の国では全国民のデータを元に疾患進行を予測するAIモデル構築の研究が進められてきました。慶應義塾大学病院でも、検体のゲノム解析などを元に変異株の病原性調査が行われました。しかし、国際的にほとんどの研究において、医療データの後方視的(retrospective)な2次利用に関しては個人の同意は不要と判断されています。

個人情報保護法は本年4月から改正法が施行されましたが、医学領域では未だ解決されていない課題があります。

現行個人保護法上、患者の病歴などは要配慮個人情報で、その取得や外部提供にオプトイン同意が求められます。この点、現行個人情報保護法におけるゲノムの解析情報の取り扱いでは、一定範囲のゲノムデータ(塩基配列)は個人識別符号に当たると整理されていますが、要配慮個人情報には該当しません。一方、ゲノム情報(ゲノムデータに解釈を加えた情報)は、遺伝子欠損などの病態との関連性があれば要配慮個人情報になりますが、タンパク質や代謝産物などのゲノムデータに若干の解析を加えたデータは個人情報かどうかが未整理の状態です。また、要配慮個人情報のオプトアウト同意での利活用を目指した匿名加工医療情報については、データが不正確になる点や日本独自の概念のため、国際的な整合性が問題になる点で、利活用の限界が指摘できます。

医薬品開発研究における個人情報の目的外利用や第三者提供については、個人情報保護委員会の解釈で公衆衛生目的として別個の同意は不要になりました。今後、その趣旨が医薬品の商業的な開発にも及ぶのか否か、議論が必要です。また、被験者そのものを対象とする臨床研究や治験において本人の同意が必要なのは当然ですが、過去の臨床研究や治験におけるデータを将来の臨床研究や治験で活用することができるかどうかについても、議論が必要です。


07_220314KGRI0061.jpg
(撮影:菅原康太)

鳥谷:システムデザインの観点から、デジタルヘルスケアについて整理してみたいと思います。

健康な状態から病気が発症し、診断、治療を経て治癒・寛解し健康な状態に戻る、もしくは悪化させずに病気と付き合っていく。これがヘルスケアのサイクルですが、デジタル化によって患者の生体情報や生活ログを活用するようになると、今まで医師任せだった治療に患者が参加可能になり、医師―患者の関係が変容する可能性があります。ウェアラブルデバイスを用いたモニタリングに関しても、医師、製薬会社、デバイス提供会社のどこに責任の所在があるのか、AIによる診断の信頼性などが問われるでしょう。

また、デジタルヘルスケアプラットフォームはデータ蓄積とサービス提供の観点から、大きく3パターンに分類できます。

一つはユーザーから得たデータを複数の組織が共同運用しサービスを提供するもの。二つ目はこれを単独の組織が行う形。三つ目は、ユーザーがデータの管理を委託し、委託された組織がサービス提供者側にデータを受け渡す方式。それぞれのパターンで倫理的、法的課題を整理して考える必要があります。

例えば複数病院がデータを共有する場合、病院外でのデータ活用や研究利用にあたって法的課題が生じる。サービス提供側に対するメリットが明確でなければ、提供が進まない。ユーザー側にも抵抗感が起こりかねませんし、病院や行政がマネジメントするにしても機会の不平等性が問題になる。こうした複雑な課題を整理し、専門家以外にも理解しやすい形で議論する姿勢が重要ではないでしょうか。


08_220314KGRI0130.jpg
(撮影:菅原康太)

磯部哲:医事法学・行政法学の観点から見ますと、医療の主たる当事者は医師と患者であり、さらに日本においては家族の位置付けも特徴的であったといえます。そして、従来は医療によって身体へ影響を受ける患者本人の自己決定権が重視されてきた一方で、近時においては疾病の予防などのために、合理的で適切な行動を求める傾向が高まってきています。

そうしたなか、デジタルヘルスケアがどのような影響をもたらすのか。患者の医療上の利益の保護は引き続き重要な要素ですが、自己決定に関しては患者自身や患者を支える家族に必要な情報が保障され、適切な環境と支援が与えられる必要がありますので、その点でどのようにICTを応用できるのか。また、患者に信頼された専門家が忠実な義務を果たすという基本的な医療の構造についても、どのように変容していくべきか(してはならないのか)などについて注視しています。

いずれにしても、ヘルスケアシステムの活用推進には医療の偏在の解消や未病状態への介入によって健康寿命を延伸するなど、期待できる点が数多くあります。個人情報については、安心を与えつつ存分に活用するための解釈論が必要でしょう。"健康でいる義務"という指摘もありましたが、その前にまずは当人が健康維持に向けた合理的な決定ができるよう、必要な情報を保障し、その達成のためにあり得る様々な支障を解消する努力が必要であって、食事改善や運動メニューの作成、管理栄養士との連携など、議論するべきことがたくさんあります。医事法的にも目の前の課題として、解釈論的に対応すべきことが多々あるのではないかと強く感じているところです。


09_220314KGRI0090.jpg
(撮影:菅原康太)

山本龍彦:憲法・情報法学の観点から大きく2点、コメントしたいと思います。

まずはヘルスケアの定義について、「パブリックヘルス(公衆衛生)」と個人向けの「ヘルスケア」は分けて考えるべきではないか。医学研究も含めたパブリックヘルスは基本的には「集団としての公衆」を対象にするもので、必要となるデータも匿名・仮名情報などの集合的なデータということになります。他方、尾原さんが挙げられた平安保険のようなケースはあくまで「個人」を直接の対象としており、「公衆」を相手にするものではない。ここでは個人の自己決定が非常に重要になってくると感じました。

もう1点は、大北先生が例に挙げられた伊藤計劃のSF作品『ハーモニー』において、指針から逸脱した人々が"調和"に対する"ノイズ"として扱われてしまう問題です。憲法は、個人の"グッドライフ(善き生)"は本人が決めるべきだと考えます。そこにデジタルプラットフォームが関わってきた場合、組織が考える特定のグッドライフを押し付けてくる可能性がある。個人の自律性に関連して憲法学でよく挙げられるのは「エホバの証人輸血拒否事件」ですが、最適化された世界においては輸血を拒否する宗教的少数派も"ノイズ"として扱われてしまうのではないか。

個人のグッドライフを自分でいかにガバナンスしていくのか、それをシステムとしてどうデザインしていけるのか。これは、民主主義において個人レベルの自己統治と共同体レベルの自己統治とをどう関連づけるかという問題につながっていくと思います。

10_220314KGRI0096.jpg
(撮影:菅原康太)

総合討論:社会と個人、健康と自己決定をめぐる思索

尾原:パブリックヘルスとしての集合界と、自律的な意思の下に個人がデータを供託する個人界との共通言語の必要性に関してはその通りと思います。

また、平安保険の健康相談は現状でAIではなく医師がアナログで行っており、個人向けの対応といえますが、イギリスのスタートアップであるバビロンヘルスは発展途上国向けにAIベースのチャットシステムを展開し、必要な場合は医師のオンライン診療につなげる方法を採っています。医師によるアナログ診断結果をAIに学習させ、両者の対応の差を埋める手法に加え、アフリカでの実績をアメリカでも適用できることになり、ユニコーン化を果たしました。 そして大北先生の「Apple Watch」のナッジによる疲れに関しては、実は日本はゲーム分野でこうしたアルゴリズムの研究が先行しているため、その知見がヘルスケア分野へ組み込まれていくものと思われます。

大北:そもそも自己決定によって自己を守れるのかどうか、自己のあり方自体が問われているように思います。個人が数値を突き付けられる社会になればなるほど、"自分でないもの"を経て自分を解釈することになるからです。

山本:AIを活用しながら、利用者を疲れさせないアルゴリズムを追求する場合、疲れないほどプラットフォーム側にとってはエンゲージメントが高まり、利益につながる。利用者にとっては依存の状態であり、自己統治の側面からすると適度に疲れて休憩を促す仕組みを考えなくてはいけないと思います。


11_220314KGRI0081.jpg
(撮影:菅原康太)

動画5:パネルディスカッション後編の動画(約28分)

古川:公衆衛生は個人のデータに基づいた構築が前提のため、まずデータ利用の範囲をできる限り本人の統制下に置きつつ、2次利用・3次利用に関しては本人から切り離してプラットフォーム上で活用し、その成果を個人に還元することになるでしょう。加えて、プラットフォームがシステムエラーを起こした時のリスクや、構築や維持のコストの問題なども考えなければなりません。

遠隔手術が普及しないのはコスト面の問題が大きいからで、情報利活用に問題があるからではありません。AIによる画像診断は期待が大きいですが、特定のがんの特徴を学習させていくなかで、頻度がまれな大きな見落としが起こるなど、普遍的な実用化はまだ先だと思われます。一方で「Apple Watch」は心房細動の発見に非常に有用だということがわかっており、疾患ごとにAIの得意領域とそうでない領域を分けて考える必要がありそうです。

磯部:医事法の観点からは、診療における医師の判断には専門的な裁量が認められています。一方で、医学研究においてパブリックヘルスを向上させる取り組みを行う場面においては、身体や検体、個人データが搾取されるリスクを避けるために様々な仕組みが考えられてきました。しかし、個人とパブリックの問題をどこまで区別できるかは、悩ましいところです。

例えばアメリカではゲノム研究を進めるにあたり、遺伝情報差別禁止法が施行されました。データの利活用や科学技術・研究の促進のためには、差別防止などの環境を整備して信頼を高め、これに関わる個々人が安心できる環境づくりが肝要だと考えられたからです。社会の信頼を得るための仕組みのあり方が問われていると思います。

河嶋:一方で、ヘルスケアの担い手が医師以外にも広がるようになると、これまで医事法・医療政策において前提としてきた倫理形成が難しくなってくるように思います。鳥谷先生、システムデザインの観点からこの問題をどのように解決し得るでしょうか。

鳥谷:デジタルヘルスケアサービスについては製薬会社、保険会社、医療機器メーカーなども参入の姿勢を見せており、どんなプレイヤーが主になるか、また、どのように医療機関と連携するかによって課題が変わってくるため、まずは整理して議論する必要があると考えています。


12_12.jpg
鳥谷真佐子の講演時画面より。

尾原:鳥谷先生の示されたヘルスケアサイクルのモデルはとてもわかりやすいと感じました。その上で、保険会社やフィンテックをはじめ、ビジネスインセンティブがあれば医療界にも事業参入が起こります。ここで医師の関与が届かないところ、患者よりも企業の主体性に重きを置いてインセンティバイズが起きると、個人の自由の面で問題が生じてくるわけです。

大北:責任論として議論されていることの一つとして、糖尿病や心不全など、個別具体的な疫学データに基づいて個人の営みが比較され、駆り立てられていく際に、何を参照して管理・統治がなされ、どこを目指そうとしているのか......かなり限られたところに設定されているのではないかと感じます。


13_S2022-07-20 12.49.43.png

尾原:自己統治に関しては3つのレベルがあると思います。まず、健康的な行動をしていない人間であっても社会的に排除されるべきではない。個人の選択の自由として不幸や不健康をどれだけ楽しむ権利が認められるか。そして、公共側とプラットフォーム側がレスポンシビリティ、つまりは"説明し、反応する能力"をどう育んでいくか。ここが大事だと思います。

山本:システムのあり方として、健康と信用スコアが結び付いた場合、スコア・点数によって公的サービスが受けられなくなるなどの"健康ファシズム"に陥りかねない。基本的にはシステムが定義する"健康"的な生活を送らずとも、最低限の生活を維持できると考えるべきです。また、複数サービスが競合することで価値の多元性が維持されることも重要だと思います。

個人の愚行権も憲法学的には難しい問題です。タバコの警告表示のように、最終決定を本人に委ねる形の積極的な情報提供はあり得るのではないでしょうか。また、医師とAIの役割分担に関してもレスポンシビリティは重要です。EUの「一般データ保護規則(GDPR)」は、重要な決定は人間が決定するという責任の制度化を規定している点で、参考になると思われます。


14_220314KGRI0103.jpg
(撮影:菅原康太)

河嶋:ここで、オンラインで聴講してくださっている大東文化大学法学部教授の山本紘之さんからの質問をご紹介します。様々な情報が積み上がっていく将来について、個別の情報提供に対するよりも、積み上げられていくことへの同意が必要となってくると感じました。両者の質的な差について、尾原先生はどうお考えでしょうか。

尾原:AIは基本的に人間の判断能力を超えたパーソナライゼーションが可能なため、個人が個別に決定できる範囲を超えている状況が前提になります。その上で、個別判断の積み上げによるプライバシーデータ委託の仕組みについては、山本先生が示されたように複数企業がいかにユーザーに寄り添い、信頼を勝ち得るかという競争圧力を築いていくことでしか、実現しにくいのではないでしょうか。

河嶋:最後にお一人ずつ、本日の感想をお願い致します。

大北:法律の議論は基本的に権利を基軸としますが、本日はいかに自分をケアすべきか、という義務にスタンスを置いて考えました。データが蓄積され、それに合わせて自己の振る舞いを考えることが不可避だとすると、どこに軸を置いて考えるかが重要になってくる。権利、社会のシステムと並行して、個人の義務についても考えていくことが大切ではないでしょうか。

尾原:独立自尊というものは関係性の中でしか立ち上がってこないものです。政府、行政、企業と個人の関係性、市場の競争の中で健全性へと向かう圧力をどう導いていくのか。医師を介さないヘルスケアシステムのあり方や個人の義務など、問い続けなければいけない論点がたくさんあります。

古川:この先、問われてくるのは"データの質"だと感じます。アメリカではクリニックと病院との質のばらつきを人間が確認して標準化しています。そしてコストの問題に関しては、予防医療によって社会全体の医療費が下がったというエビデンスはまだありません。AIと人間の役割分担、個人の自由にプラットフォームが介入できる範囲などについても、議論を深めていかなければなりません。

鳥谷:自己統治、自己責任の課題について、社会システムへの落とし込み方は非常に難しいところです。個人の自己決定は、システムがどう形作られるかと切り離すことができません。バランスよく実現できる仕組みについて今後も議論を深め、具体的なシステムデザインに落とし込んでいきたいと思います。

磯部:医事法学において従来、当然の前提のように考えてきた医者―患者関係の基軸が大きく変わる可能性があることや、個人の自由や健康のあり方にも様々な変容が迫られている様子がわかり、ゾッとすると同時に非常にワクワクする議論でした。

閉会挨拶:2040年へ向けて

山本:競争領域と協調領域の線引きに加え、個人界のデータを集合界へ移行するには古川先生の指摘された相互運用性の標準化も重要だと思います。そうしたデータの規格化と、アルゴリズムの多様性をどう切り分けていくかが決定的に重要になってくるのではないでしょうか。

2040年に向けて超高齢化が進んでいくなかで、福澤諭吉の言葉である「自他の尊厳」を守りながらデータをどう活用していくのか。本日のシンポジウムで終わりではなく、今後も学際的、あるいは産学連携の議論を続けていきたいと思います。どうもありがとうございました。

15_220314KGRI0171.jpg
(撮影:菅原康太)

2022年3月14日 三田キャンパス南館地下4階 2B42にて実施(対面+オンライン形式)
※所属・職位は実施当時のものです。