【開催報告】デジタルメディアの"公共圏"規制について、ドイツの議論から考える 「デジタル時代における民主主義研究会」(2022.3.1開催)
2022.08.23
KGRI「2040独立自尊プロジェクト」の一翼をなす「プラットフォームと『2040年問題』」プロジェクト。このたびドイツのマインツ大学より、憲法学者・メディア法研究者であるアルバート・インゴルト を迎え、「デジタル時代における民主主義研究会」が実施された。
ドイツで「公共圏(Öffentlichkeit)」という概念は、完全な私的領域と国家が担う公的領域の〈中間〉にある領域を指していう。これは、主体的な個人によって担われる市民社会を指すほかに、誰もが参加できて自律的・合理的な議論が可能な、世論形成のためのコミュニケーション空間を指して用いられる。歴史的には、18・19世紀のイギリスのコーヒーハウスやフランスのサロンに端を発し、その後、新聞などの出版メディア、さらに放送メディアの登場による変質を遂げた。今日では、インターネットやSNSの発達によって「デジタル化した公共圏(digitalisierte Öffentlichkeiten)」が新たに誕生したといわれている。
しかし、デジタル化した公共圏とは、そもそもいかなるものなのか。また、法の領域において、公共圏とその変容はいかなる意義を持つのか、その規制の最適な在り方はどのようなものなのか。プラットフォーム、民主主義、表現の自由を考える上で避けて通ることのできないこれらの問題について、インゴルト教授の講演と、KGRI所員を交えたディスカッションが行われた。その内容をダイジェストでレポートする。
講演者:アルバート・インゴルト(Albert Ingold)
マインツ大学法学部教授。1980年、ドイツ・ビーレフェルト生まれ。ベルリンのフンボルト大学にて法律学を学んだのち、同大学にて助手を務め、2007年に法学博士を取得。司法修習を経て、08年に司法試験二次試験に合格。09年にミュンヘン大学助手、17年より現職。専門は憲法、メディア法。
司会・通訳:栗島智明(くりしま・ともあき)
埼玉大学大学院人文社会科学研究科准教授。1989年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科で憲法学を専攻、2015〜17年にかけてドイツ学術交流会(DAAD)奨学生としてミュンヘン大学法学部へ留学。18年より同研究科にて助教を務め、19年より現職。独日法律家協会(DJJV)評議員も務める。
講演:アルバート・インゴルト「ドイツおよびEUにおけるインターネットプラットフォーム事業者の公共圏規制の類型論」
栗島智明:本日の進行と通訳を務めます、栗島です。ドイツのマインツ大学でインターネットやデジタル化した公共の問題について研究されているアルバート・インゴルト教授をお呼びして、議論を進めていきたいと思います。
(以下、講演の内容を抜粋構成)
アルバート・インゴルト:本日はドイツとEUにおける「公共圏の規制」についてお話し致します。まず前提となるのは、インターネットによる社会的な言論空間の変化です。ドイツでは2017年にいわゆる「SNS対策法(正式名称:NetzDG/Netzwerkdurchsetzungsgesetz)」が制定され、一定以上の規模を有するSNS事業者に対し、ヘイトスピーチや名誉毀損表現をはじめとする違法なコンテンツへの対策を義務付けました。その背景にあるのは、攻撃的な議論やフェイクニュースなどを含むネット上のコミュニケーションが、民主主義社会における政治的な公共圏に影響を及ぼすという考え方です。これに対して、個人の人格権の保護をどう両立していくかが問われています。
まず、ドイツの法制度における公共圏の位置付けについて、憲法学の観点からは文脈によって複数の見方が可能ですが、いずれにせよこれは社会の進展に応じて変化するものとして捉える必要があります。特にデジタル領域に関しては、社会的コミュニケーションの構造がどのように変化しているのかをまずは正しく認識した上で、規範のあり方を考えていかなければなりません。
そして、公共圏に対する規制を考える上で大きく二つの問題が考えられます。一つは、デジタル領域でのコミュニケーションは極めて広範かつ複雑であり、実体に関する研究がまだ不十分な状態であることです。この状況に法的に対応する余地を与えるのが、リスク(Risiko)に関する解釈論です。これは、法益の保護や犯罪の防止のために、科学的に証明されていない事項に関しても予防的措置を取ることができるとするものです。
もう一つは、デジタル化したネットワーク構造の影響により、これまで公共放送で考えられてきたような多様性の確保を主眼とするアプローチが難しくなってきたことです。この状況をふまえ、規制の目的を個人の自律性の保障に転換する動きが進んでいます。具体的には、ネットニュースやSNS上において過剰にアテンション(注目)を煽ることで経済価値を追求する傾向に対し、規制を加えるアプローチが挙げられます。
次に、考え得る規制方法について。一つ目は、プラットフォーム事業者に対して積極的なコンテンツ義務を課す方法。例えば検索結果を表示する際に、良質なコンテンツを優先的に表示することを義務付けることが挙げられます。ただしここでは、多様性の確保との両立をどう図るかが問われます。
二つ目に、消極的なコンテンツ義務。投稿の際に犯罪につながる内容が含まれていないかどうかをフィルタリングするなど、望ましくないコンテンツの排除を義務付けることが挙げられます。EUにおけるDSA(Digital Service Act、デジタルサービス法)の中核に位置付けられる方法ですが、プロバイダーやコンテンツ提供社、ユーザーなど、立場ごとの基本権をどう守るかが議論されています。
三つ目は、通信インフラを対象にアルゴリズムの透明性を求めること。これは比較的、適用しやすい方法といえるでしょう。
これらの議論は未だ定まったものではなく、デジタル化した公共圏への対応がいかに法政策上難しいものかを表しています。学際的な知見を交えながら引き続き考えていく上で、みなさんと議論ができることを楽しみにしています。
ディスカッション:ドイツの事例から考える、インターネット規制の課題と展望
(ディスカッション内容より抜粋構成)
山本龍彦(慶應義塾大学大学院法務研究科教授、KGRI副所長):私からは、まずは違法なコンテンツと有害なコンテンツの違いを問いたいと思います。ヘイトスピーチなど違法なものについてはプラットフォーム側に対策の義務が課せられるとして、フェイクニュースをはじめ、違法とはいえないが有害であるものについてはプラットフォームにどこまでの責務を課すべきか。第二に、EUのデジタルサービス法(DSA)法がGoogleなどの超巨大プラットフォームに課そうとしている義務について、考えをお聞かせください。
インゴルト:最初の質問は、これまでも争われてきた難しい問題です。プラットフォーム事業者が有害だと判断するものを削除可能とするのか、それとも利用者の表現の自由などの基本権をプラットフォーム事業者が尊重する義務があると考えて、本当に違法なものだけを削除すべきとするのか。Facebookについて連邦裁判所は昨年、事業者の裁量を認めつつ、表現の自由との関係上、手続き的義務の部分で重いハードルを課すべきという見解を示しました。
前提として考えるべきは、そもそもプラットフォーム事業者がいかなる基本権を持っているのか、ということです。私自身は、これらの事業者は表現コンテンツを扱う以上、経済的基本権だけでなく、表現の自由に関わるコミュニケーションの基本権も持っていると考えます。
二つ目の質問に関しては、DSA法案の考え方はEUにおける「e-Commerce Directive(Eコマースに関する指令)」の発想、つまり消費者保護的な観点から民事法制化されてきたといわれている点を指摘したいと思います。
参加者(一般企業):プラットフォーム事業者に対してある程度の裁量を認めるという話でしたが、日本の事業者においても、どういう考え方に基づいてコンテンツモデレーション(不適切なコンテンツを監視し、削除すること)を行うのかを明らかにするべく、透明性レポートを公表するなどの取り組みが進められています。
しかし、社会的な要請からはフェイクニュース対策が求められる一方で、民主主義や公共空間とのバランスをどのように保って線引きを行うべきか、判断が非常に難しいと思います。もし参考になるようなドイツの事例がありましたら、教えてください。
インゴルト:確かに難しい問題ですね。社会的な規範に沿ってモデレートを行うことが結果的に社会の分極化を進めてしまっているのか、それとも逆なのか、わからないなかで対応が求められるわけですから。しかし私は、国が大きなレベルで線引きを行うよりは、企業が事例ごとのレベルで一つひとつ判断していくほうが望ましいと考えます。
ドイツでは企業による自己規制でありながら国も関与しているケースがあり、しばしば「規制された自己規制」と表現されます。日本における「共同規制」とも似ていますが、企業が作るルールを第三者機関に委ねつつ、国もそれを容認する点が特徴だと思います。
その典型的な例が、プレス各社が設けたチェック機関「Presserat(プレス審議会)」です。一方でインターネットに関しては、「メディアに関する州際協定」の19条で示されている、「ジャーナリストが満たすべき慎重さの義務」に関する規定を「規制された自己規制」に拡大できる可能性があるものの、現時点ではまだ機能していません。プラットフォーム事業者にしてみれば、国から規制されたほうが自分たちの義務が軽減されるため、政府の動きを待っているのではないかとも思います。
端慶山広大(九州産業大学地域共創学部講師):コンテンツベースの規制からアテンションベースの規制へとアプローチの転換が進んでいるという理解に、消費者法との類似性を感じました。つまり、保護すべき対象となる、事業者から悪影響を受けやすい契約類型の考え方を、デジタル公共圏にも応用していくイメージです。
インゴルト:今後の規制のあり方を考えた時に、内容の規制ではなく、注目・アテンションの規制という形に行くのが自然な流れだという議論がなされる背景に、消費者保護やデータ保護の観点があるというのは正しいご指摘です。いわば、自由な判断を可能にするためにどうパターナリスティックな規制をするかが問われている。どの程度までパターナリスティックな規制を行えば、人々の自由な判断を守ることができるのか、ここは極めて難しい問題だと思います。
河嶋春菜(KGRI特任准教授):「規制された自己規制」について、ドイツではプラットフォーム事業者が一つにまとまり得るような状況があるのでしょうか。というのも、倫理的な規制を事業者自らが課していくあり方は、例えば医師会のように、その領域のプロフェッションが一つに集まり、自らルールを作る仕組みであれば想定しやすいものです。そうした領域でもフランスのように国による規制が中心になる場合もあります。ドイツあるいはEUでは事業者の自主的な規律が可能なのか。また、国によるジャーナリストのデオントロジー(職業倫理)という観点からの規制は、ドイツではネットワーク事業者に対しても行われているのでしょうか。
インゴルト:ドイツのメディア状況についてお話しすると、新聞各社が次々にインターネットへ参入している一方で、公共放送が提供する情報も多くがインターネットに掲載されていますし、ニュースフィードとしてはドイツテレコムが運営する「T-Online」が多く用いられています。新聞各社や放送局などの古典的なメディア主体とは異なり、新たなインターネット事業者たちは自らをメディア提供者、ニュース事業者として位置付けられないようにすることで、できる限り規制から逃れようとしているのが現状です。
この動向に対して、プロフェッショナルの業界団体による「規制された自己規制」の動きにも変化が起きています。「メディアに関する州際協定」では「編集に携わる限りにおいて、ジャーナリストとしての基準を満たさなければならない」と文言を工夫し、インターネットプラットフォーム事業者にも対象を広げようとしています。こうした動きから考えるに、今後はジャーナリスト組織が設立され、ネット事業者にも参加を義務付ける流れへと向かっていくのではないでしょうか。
栗島:そろそろお時間となりました。インゴルト教授、どうもありがとうございました。
インゴルト:今回うかがった日本の規制の状況についても、ぜひ引き続き教えていただければ、私の研究にとっても大変有意義なものになると思います。本日はありがとうございました。
2022年3月1日 オンラインにて実施
※所属・職位は実施当時のものです。